【大人の失敗から学ぼうVol.05】不安や苛立ちを抱えた10代 そこから抜け出せたワケは?(ぶらっくさむらいさん)

生徒・先生の声

2021/03/29

自分が何になりたいのかわからない。何者かになりたいけれど、どうしたらいいかわからない。そもそも、自分って一体何なんだろう……。

そんなモヤモヤした気持ちを抱えている中高生は、多いのではないでしょうか。

今回インタビューしたのは、日本人とカメルーン人のハーフ芸人“ぶらっくさむらい”さん。名古屋市に生まれ、母子家庭で育った彼も、同じようなモヤモヤを抱える中高生だったと言います。

自分のアイデンティティに悩んだり、漠然とした将来への不安でむしゃくしゃしたり……。そんな彼が自分を変えようと一念発起したのは、23歳の頃。高校を出てアルバイトで貯めたお金でアメリカに渡り、留学経験の中で自分のやりたいことに気付きます。

今回は芸人として活動し始めるまでの時代を中心に失敗談を伺いましたが、ぶらっくさむらいさんは「日本という狭い社会しか知らなかったからこその失敗だった」と当時を振り返ります。

「見てんじゃねえ!」苛立ちを抱え続けた10代

── 今は黒人ハーフであることをネタに笑いをとっているぶらっくさむらいさんですが、子どもの頃はハーフであることをどう感じていたんですか?

思春期のときには、やっぱり人の目が気になりましたよ。思春期の中高生ならみんな感じることかもしれないですけれど、人に見られることに敏感になっていました。

僕が中高生だった1990年代には、まだ名古屋には外国人も少なく、特に黒人はほとんど見かけませんでした。だから街を歩いていると人に見られているというのを強く感じてしまって。

高校生の頃には、電車の中で前の席に座っていたおじさんの目線が気になって、「何見てんだよ!」と一方的に突っかかっていったこともあります。
今思うと、あれは失敗だったなと思います(苦笑)。でも、当時はそんなふうに見ず知らずの他人によく突っかかっていましたね。

── 当時は、いわゆる不良っぽい少年だったのでしょうか。

社会に対する反抗心が大きかったですね。
その根底には、母子家庭でハーフとして育って、日本社会でこの先うまくやっていけるのだろうかという不安があったんだと思います。

高校生のときには不良の先輩たちとよくつるんで遊んでいました。不良グループの中では「高校に行くヤツはダサい。退学するのが真の男だ」というナゾの共通感覚があって、高3では退学ギリギリまでいったこともあります。

── え、一体何をやらかしたんですか?

むしゃくしゃして学校の2階の窓から消火器を投げ捨てたんです。停学処分になったんですが、そのときの三者面談で「学校は辞める」と言いました。
でもそのとき、母が泣いて「私が卒業させます」と言ってくれた。担任の先生も一緒に泣いて、同じように「絶対卒業させる」と。

母からしてみたら、一人親で育ててきて、高い学費を払って私立の高校に通わせて、高3の最後のほうで辞めると言われたら、それは泣きたくもなりますよね。でも親と先生がそんなふうに言ってくれたことで、踏みとどまることができました。

── 高校を卒業した後は、どうしていたんですか?

とにかく高校を出るのもやっとで、その後のことは何も考えていませんでした。ただ漠然とした「何かでビッグになりたい」という気持ちと、「やっていけるのかな」という不安とが混ざっている状態で。
音楽は好きでギターを弾いたりラップをやったりしていたんですが、それで何かになろうと動くこともなく、いろいろなアルバイトをして生活していました。
ただ、アルバイトの面接に言っても「外国人に見えるから雇えない」とハッキリ言われるなど、理不尽な扱いを受けることはよくありましたね。

── 日本人として生まれ育っていても、そういうことがあった時代だったんですね。

本名も「武内剛」で、思い切り日本人の名前なんですけどね。
工事現場で働いていたときには、現場によっては保険などの関係で外国人の雇用が禁止されているところがあったんですが、僕がいることで親方に「外国人を使っているじゃないか」とクレームが入ることも何度かありました。

親方は僕が日本人だとわかって雇ってくれていましたが、ハタから見たら僕は外国人で、親方に迷惑がかかってしまう。そういう経験の中で「日本を出たい」という思いが強くなっていきました。

ニューヨークで気付いた「日本にいた小さな自分」

── その後、アメリカのニューヨークに留学するわけですね。

中学生の頃、母親に1週間イタリアに連れて行ってもらったことがあったんですが、日本とは違うカルチャーに衝撃を受けたんです
街や駅には音楽を演奏している人たちがたくさんいて、みんな楽しそうにそれを聴いていて。そのイメージが強く残っていて、外国に行きたいという気持ちが膨らんでいきました。

小さな日本の中でさらに名古屋という狭いコミュニティが僕のすべてで、その中でイライラしながら過ごす日々を変えたいと。それでアルバイト代を貯めて留学することにしたんです。

アメリカを選んだのは、子どもの頃からパンクロックなどの洋楽が好きだったからです。音楽を中心としたアメリカの文化に憧れがあって、現地の人たちとコミュニケーションをとりたいという思いがありました。

── 英語は得意だったんですか?

全然(笑)。でも日本の学校では、英語のテストは記憶力のテストじゃないですか。英語の点数が低くても、僕は洋楽で英語に親しんできたし、なんとかなると思っていました。
まあ、最初の頃はなんともならなかったですけど……。お金をだまし取られたりしましたね(笑)。

── アメリカでは学校に通っていたんですよね。

最初の2年間は英語学校へ行って勉強して、その後少し間を置いて演劇の学校に通いました。
英語学校の先生で演劇をやっている人がいて、その人の教え方が楽しくて、演劇に興味を持ったのがきっかけでした。

演劇の学校に通うには高校卒業の資格が必要だったので、このときには「卒業しておいて良かった!」と心から思いましたよ。あのとき、親と先生が退学すると言い張った自分を引き止めてくれてよかったなと。
外国に行っても、学歴って必要になることがあるんですよね。

演劇学校で僕が教わった先生は、舞台監督・脚本家としてニューヨークで活躍している人で、僕にもいろいろなチャレンジをさせてくれました。本名の「剛」にかけて「GO」というタイトルでワンマンショーをさせてもらったり。今でもこの先生とは連絡を取り合っています。
本当は演劇学校には1年通ったら日本に帰ろうと思っていたんですが、そんなこんなで楽しくなってしまって、そのまま3年間通いました。

── ニューヨークは、ぶらっくさむらいさんにとってどんな場所でしたか?

ニューヨークは移民が多く、多様性によって成り立っている社会でした。僕はそこで人の目を気にするということがまったくなくなりました。みんな違っていて当たり前だということをすんなり受け入れることができたんです。

日本で思春期のときに苦しんだ、周囲からの目線に対しても、「そりゃあ見るよな」とも思いました。でもみんな悪気があって、攻撃しようと思って見ているわけではないと気付けたんです。

── 日本も少しずつ、多様性を受け入れなければいけない時代になってきていますよね。

日本ではまだまだこれからだと思いますが……。
僕は日本人として育ったのでアメリカに行くまで気が付かなかったんですが、日本では「みんなと同じじゃないとダメ」というプレッシャーがとにかく強いですよね。
校則だって「髪の毛は全員黒じゃないとダメ」というナゾのルールがある。だから人と違うことが怖くなったり、違うと思われていないかと他人の目線が気になったりしてしまう。

ニューヨークでそのことに気付いて、日本にいたときの自分の不安な気持ち、イライラした感情はとてもちっぽけなものだったなと気持ちが軽くなりました。
30歳で日本に帰国したんですが、そこからは渡米前のように人の目が気になるということはすっかりなくなっていましたね。

「いつか」と言っているうちはチャンスは来ない!

── 帰国してから、芸人として活動し始めるきっかけは何だったんですか?

7年間アメリカにいた間は日本のテレビを見ることもなかったので、日本でどんなものが流行っているのか、帰国してすぐはわかりませんでした。

好きな音楽をやってみようと東京に住み始めたんですが、それほど歌が上手いわけでもなく、何か違うことで表現ができないかと考えていました。
そのときにお笑い芸人のAMEMIYAさんの音楽ネタを見て、自分もこういうことをやってみたいと思ったんです。

── 芸人に転身してすぐに、テレビ出演を果たしていましたよね。2013年には『アメトーーク!』のハーフ芸人の回に出演。同年『歌ネタ王決定戦』で準決勝に進出して、翌年もまた準決勝進出。

当時、たまたまハーフ芸人ブームが起きたというのも大きかったですね。ただ、僕はお笑いだけにこだわらず、いろいろな形で表現する仕事を続けられたらいいなと思っています。YouTubeなどを使ったコンテンツ配信など、新しいことにどんどんチャレンジしたいと思っています。

── YouTubeで見ましたが、今はお父さん捜しをしているんですよね。

カメルーン人の父とは一度も会ったことがないんです。イタリアに住んでいることだけは知っているのですが、どこに住んでいるかもわからず。
昔は「いつか会えたらいいな」と思っていたんですが、新型コロナウイルスが世界中で流行して、昨年イタリアで死者が何人も出ているというニュースを見て、現実を突きつけられました。
「いつか」と思っているうちに会えるチャンスを逃してしまうかもしれない、と。

── 見つかって、早く会えるような状況になればいいですね。

本当は、何かで大きく成功してから会いたいと思っていたんです。「これでいいモノでも食べてよ」ってお金を渡したりして。でもこれが僕の悪いところというか、邪魔なプライドだなと思って。思ったことややりたいことは、すぐに行動しないとチャンスはつかめないんですよね。

僕はアメリカに行ったことで、日本で鬱屈としていた自分から大きく変わることができた。今回も、父と会うために動くことで、何か変わるんじゃないかなと思っています。

── 応援しています!今日はありがとうございました。

何者かになりたい、今の自分のままでいたくない。

そんなモヤモヤした気持ちを抱えているのならば、今いる場所から飛び出してみればいい。
中学や高校でうまくいかなくても、その先が見えずに不安でも、行動することで「自分はこれをやりたい」「こう生きたい」というものが少しずつ見えてくるはず……。

ぶらっくさむらいさんは、漠然とした不安を抱える10代の皆さんに「もっと広い世界を知ることが、今の不安を消し去る手段のひとつ」だと言います。

海外でなくても、今まで知らなかったものに触れてみる、話したことのない人と話してみるといった、小さなことから始めてもいいかもしれません。一歩を踏み出すことで、きっと新しい視点が見つけられるはずだから。

<取材・文/大西桃子 >

取材協力

ぶらっくさむらいさん

日本人とカメルーン人のハーフとして名古屋に生まれ育つ。アメリカ・ニューヨークに7年滞在後、芸人の道へ。 R-1グランプリ2017準決勝、『エンタの神様』『ゴッドタン』『おはスタ』などテレビ番組に多数出演。ブラックカンパニー代表取締役兼YouTuber。

公式ブログ https://ameblo.jp/takeuchigo/

Twitter https://twitter.com/50takeuchi

YouTubeチャンネル https://www.youtube.com/user/gotakeuchigo/

 

この記事を書いたのは

大西桃子

ライター、編集者。出版社3社の勤務を経て2012年フリーに。月刊誌、夕刊紙、単行本などの編集・執筆を行う。本業の傍ら、低所得世帯の中学生を対象にした無料塾を2014年より運営。