区別とはどう違う? 法学者になぜ差別がダメなのか聞いてみた

専門家に聞く

2020/08/14

新型コロナウイルスの感染拡大によって、今、日本をふくめ世界中に大きな社会不安が押し寄せています。そうした中、ウイルスに罹患した方や医療従事者、また外国人に対する差別も広がっているといいます。さらには学校でも、新型コロナウイルスを由来としたいじめや差別の問題が起こり始めています。

病気はもちろん恐ろしいです。しかし、感染への不安が呼び起こす差別心や偏見の目は、それ以上に怖いものではないでしょうか。

「差別」というテーマで考えてみるともう一つ思い浮かぶのが、2020年のアメリカで警察官からの暴力により黒人の一般市民が亡くなった事件をきっかけに、黒人差別の問題が世界的に大きな話題となっています。

今の世界を見渡してみると、「差別」はどの国でも・誰にでも身近な問題と言えます。では、差別はなぜいけないことなのか、どこからが差別なのか、そして差別はどうすればなくしていけるのでしょうか。

同志社大学の法学部教授でもあり、現在「STOP!コロナ差別」動画キャンペーンを通して、新型コロナウイルスによる差別防止を呼びかけている、(公財)人権教育啓発推進センター理事長で法学者の坂元茂樹さんに、法律の視点を中心にお伺いしました。

坂元茂樹
公益財団法人人権教育啓発推進センター 同団体理事長
同志社大学法学部教授

どうして差別はいけないの? どこからが差別なの?

みなさんは「世界人権宣言」というものをご存知でしょうか?

「世界人権宣言」は、第二次世界大戦後の1948年、発足から間もない国連で採択された、人権に関する世界的な取り決めです。

―すべての者は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位等によるいかなる差別もなしに、この宣言に規定するすべての権利及び自由を享有する権利を有する」―

引用元)世界人権宣言 第二条

人は生まれてくるときに人種や国籍、性別を選ぶことはできません。
自分に責任のないことで人権を侵害されることは許されないということを、人類は歴史を通して学んできたため、世界で約束が取り交わされたのです」

歴史的に、自分が選んだわけでもない生まれつきのことで他人を不当に扱う人がたくさんいて、それに対して「それはおかしい」と声を上げてくれた人たちがいた……、だからこそこの世界人権宣言が生まれたというわけです。
もちろん日本でも、差別に対して声を上げた人のおかげで差別が解消された事例があります。

「最近の日本では、2013年に嫡出子と非嫡出子の遺産相続に差をつける民法の規定が、法の下の平等を定めた憲法14条に違反するという判決が最高裁判所で下されました。嫡出子と非嫡出子というのは“結婚している男女から生まれた子かそうでないか”ということです。

もし自分が非嫡出子だったとしたら、自分にまったく責任がないことで遺産が半分になってしまうような不利益を受け入れることはできますか? 納得できないはずです。だから差別はいけないのです」

といっても、「自分は差別はしていない、区別をしているだけだ」という人もいます。そう言い出すと、どこからが差別で、どこまでが区別なのかわからなくなる人も多いと思います。

しかし、差別と区別には違いがあると坂元先生は言います。

差別と区別 何が違う?

坂元先生によれば、判断の基準が合理的であるかそうでないかが差別と区別の差だとのこと

日本でも、男女差別の問題で「差別か区別か」で主張が分かれることがありますが、合理性の有無を考えることがポイントとなりそうです。

「昔のオランダでは、失業時に受け取れるお金が男性は無条件にもらえたのに対して、女性は“家計の担い手”であることを証明しなくてはなりませんでした。
そこでオランダの女性は1966年に国連で決められた国際人権規約自由権規約に書かれた『すべての者は、法律の前に平等であり、いかなる差別もなしに平等の保護を受ける権利を有する』(第26条)に違反しているとして訴えを起こしました。

結果、この訴えは認められました。なぜならこのオランダの国内法が、合理性に欠ける基準であると判断されたためです。
女性という理由だけで家を支えているかどうかを証明しなくてはならないというのはおかしいんじゃないかとみなさんも思うはずです。きちんとした理由もなく区別することが、つまり差別なのです」

そして、日本もこの自由権規約の権利を世界に約束している国ですから、法律の面から見ても差別はいけないということになります。

ウイルスは差別をしない――今、誰もが当事者になりうるコロナ差別

新型コロナウイルスについては、感染する病であることから不安を抱く人が増え、それが差別につながっているという実態があります。

日本でも感染者や病院で働く医療従事者、それにエッセンシャルワーカーと呼ばれる緊急事態でも社会を維持するのに働くことが必要不可欠な人々(公務員、食品・生活用品に関する業者、宅配ドライバー、コンビニ店員、保育士など)や、その家族に対する不当な誹謗中傷やハラスメントなどの差別が起こっています。

保育園で登園自粛を求められたり、仕事を解雇されたり、飲食店から入店拒否を受けたり、偏見によるいわれなき差別を、目の当たりにした人もいるかもしれません。

「このように差別的な行動をとってしまうのは、自分が感染したくないと過度に恐れるがゆえです。ウイルスは人に対して差別もしなければ、区別もしてくれません。誰もが患者になる可能性があるということを忘れてはいけません。もし自分が感染してしまったとき、他の誰かからひどい態度をされたらどう感じるでしょうか。

ウイルスへの恐怖が、私たちが本来持っているはずの人間性や他者に対する優しさを失わせることがありますが、自分だったらその態度を受け入れられるか、考えてみてほしいと思います」と坂元先生。

人権教育啓発推進センターでも「STOP!コロナ」動画キャンペーンを行っており、各界の有名人がなぜ差別がいけないのか、ひとりひとりの考えを話してくださっているとのこと。

「学校で起こるいじめ同様に、差別も、なくすには勇気と環境づくりが重要です。『間違っている』と言える勇気をみなさんが持つこと、いじめを許さない学校文化を作ること。日本の社会全体で、差別にNOといえるような環境を作っていきたいものですね」

人権教育啓発推進センターが主催する
STOP!コロナ差別 ―差別をなくし正しい理解を― キャンペーン

自分のものさしで考えて

最後に、坂元先生から通信制高校ナビ読者のみなさんにメッセージをいただきました。

「通信制高校を選択肢に考えるみなさんは、どのような状況下でも学ぶことを積極的に考えているのだと思います。
学ぶということは、世界や日本といった社会のあり方や、自分の人生についてどう考えるべきかというきっかけを与えてくれます。みなさんには学ぶことを通して、他人のものさしではなく、自分のものさしで人生を生きていってほしいと思います」

新型コロナウイルスの差別にしても、人種差別、男女差別にしても、みんながその人を不当に扱っているから、自分もそうしてしまう……。多くの人が周りに流されることで差別は助長され、それが定着してしまいます。

でも、本当にそれは合理的なのだろうか、自分がされても不当に感じないのだろうかと、自分のものさしで考えることはとても重要なことです。そして、自分のものさしで物事を考えることができれば、自分自身の人生ももっと豊かにしていくことができると坂元先生は言います。

「人生には残酷なところがあり、正直者が損をしてずる賢い人が成功するといったことが起こりやすいですが、できることなら自分の持つ価値に対して正直に生きてください。誰かの評価ではなく、自分の評価で生きるということが、自分のかけがえのない人生を生きるということです」

さらに、差別の問題や自分の価値観を見つめ直すために読んでほしい本として、2冊紹介をしてくれました。ぜひ夏休みに読んでみてください。

吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫、1982年)
村上淳一『「権利のための闘争」を読む』(岩波人文書セレクション、2015年)

<文・取材/中島理>

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この記事を書いたのは

中島理

1981年、北海道生まれ。バーテンダー・会社員を経てライターへ転身。ムックを中心に編集や執筆に携わる。引きこもり経験を持ち、若年層の進学・就労にまつわる心の問題に関心。