学校の「当たり前」は誰のため?非常識な麹町中校長 工藤勇一が親たちに伝えたいこと

生徒・先生の声

教育問題

2019/09/17

「当たり前」って何でしょうか。

「人を殺してはいけない」

うん、当たり前ですね。

「人の物を盗んではいけない」

これも当たり前です。

「クラスのみんなとは仲良くしなければいけない」

うーん、これも当たり前とは言われますが、いつもそうできるわけでもないような……。

「毎日元気に学校に行って行儀よく授業を受け、髪型や服装などの校則を守り、宿題をきっちりとこなし、定期テストのためにしっかり準備して、いい点数を取れるよう努力する」

え、えーっと、ちょっと待ってください……。

2019年9月に発売された『麹町中学校の型破り校長 非常識な教え』(SBクリエイティブ)を読むと、私たちが「当たり前」と思ってきたこと、社会で「当たり前」とされてきたことが、実は子どもたちの豊かな成長の妨げになってきたのではないかと考えさせられます。

本書の著者である工藤勇一先生は、現役の校長先生です。彼は勤務先の千代田区立麹町中学校を舞台にさまざまな改革を行い、一躍注目を集めました。

「当たり前」が子どもの主体性を奪う

工藤校長が行ってきた改革の内容は「宿題の廃止」「定期テストの廃止」「服装・頭髪指導の廃止」など、「そんなことして大丈夫なの?」と思うようなものばかり。
端から見ると本書のタイトルどおり「型破り」で「非常識」なものに思えます。

実際、これらの改革を実行するにあたっては、保護者をはじめとして多くの抵抗に遭ったそうです。記者自身も現在中3の息子を持つ親として、その改革内容だけを読んで「いやあ、実際大丈夫なの?」と思いました。

学校に直接関係のない記者でさえそうですから、在校生の親御さんや学校周辺の関係者が心配になるのも当たり前でしょう。

本書の第1章で説明されるのは、この改革の根底にある理由です。それはひと言で言えば、「問題の本質をとらえ、“本当に大事なことは何か”を考えること」。そしてこれが、本書全体のテーマでもあります。

従来の教育現場、大多数の(主に公立の)小中学校で行われている「宿題と定期テストによる子どもたちの“学習意欲”の評価」は、
「勉強とはこうでなければならない」「これができる子どもが“優秀”である」という価値観の一方的な押しつけであり、そうすることで教師が子どもたちを管理・評価しやすくなるという都合の産物でもあります。

子どもたちも「それをこなしてさえいればいい」と思うようになり、「主体的に問題に取り組むこと」「何がわからないかを見つけること」からは遠ざかってしまいます。

また、そんな作業は当然面白くはないですから、積極的に取り組みたいという気持ちも生まれません。

こうして「宿題や定期テストをキッチリこなすことが大事」「それを守っていれば評価される」といった「当たり前」が、教師・生徒・保護者の中でガッチリと築き上げられてしまいます。

工藤校長は数々の改革を通して、こうした「当たり前」をいったん壊し、子どもたちに「自分で問題を見つけ、それを解決する方法を考える」力を養おうとしているのです。

「不登校は問題あり」は当たり前?

第2章では「リフレーミング」という言葉が出てきます。「リフレーミング」とは、もともとハマっていた「フレーム」(枠)をいったん外して、見つめ直してみること。
「フレーム」とはまさに前述の「こうでなければならない」=「当たり前」の感覚です。

そう、本書の最大のテーマはこの「リフレーミング」の一語に集約されるのです。教育現場でのリフレーミングは、教師や保護者が自分のフレームを外し、子どものフレーム(多くは教師や保護者から与えられているもの)を外すことを意味します。

この第2章では、不登校の問題にも触れられています。子どもの不登校に対応する際にも、リフレーミングは有効な手段となるといいます。

保護者に対して、工藤校長は「あなたたちのせいではありませんよ」と説明するといいます。そして保護者からは子どもに「不登校自体、大した問題ではない(都立高校入試に不登校は影響しない)」と話してほしい、と。

これはすなわち、「不登校は親に問題がある」「不登校の生徒は高校入試に不利」というフレームを外してあげる作業です。

そうは言っても、やっぱり「不登校は大した問題ではない」と思える大人は少ないでしょう。

それでも、子どもに対しては言動で示すことが大切だと言います。

それは、「言葉と行動を変えようと繰り返し意識し続けていると、自分そのものが変わっていく」からだとのこと。

子どものフレームを外してあげたうえで、子ども自身が「じゃあどうしよう」と考えられるようにすることが、大切だということです。

第3章では「みんな仲良くしなければならない」というフレームに向き合うことで、「多様性と合意形成」の問題を説明。そして第4章では、親が子どもに接する際のリフレーミング実例集と言っていい内容となっています。

「当たり前」は誰のためのもの?

もう一度考えてみます。「当たり前」って何でしょうか。

今まで「当たり前」と思っていたことって、誰が、何のために考えたものでしょうか。

そしてそれは、本当に「当たり前」でしょうか?

工藤校長は本書を通じて、不登校をはじめ、教育現場を巡る多くの問題(とされていること)を考えるのに「リフレーミング」がいかに有効か、そしてそれはどう考え、実行すればいいかを解説しています。

本書は親御さん向けに書かれたものですが、当事者である生徒にも有効なヒントが詰まった1冊となっています。頭にがっちりハマったフレーム、外す練習をしてみませんか?

<文/高崎計三>

書籍紹介

『麹町中学校の型破り校長 非常識な教え』(SBクリエイティブ)

著者:工藤勇一区立麹町中学校校長

1960年山形県鶴岡市生まれ。東京理科大学理学部応用数学科卒。山形県公立中学校教員、東京都公立中学校教員、東京都教育委員会、目黒区教育委員会、新宿区教育委員会教育指導課長等を経て、2014年から千代田区立麹町中学校長。教育再生実行会議委員、経済産業省「未来の教室」とEd Tech研究会委員等、公職を歴任。初の著作『学校の「当たり前」をやめた。―生徒も教師も変わる! 公立名門中学校長の改革』(時事通信社)はベストセラーに。

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この記事を書いたのは

高崎計三
1970年、福岡県生まれ。ベースボール・マガジン社、まんだらけを経て2002年に有限会社ソリタリオを設立。編集・ライターとして幅広い分野で活動中。