「勉強しろ!」は教育虐待に? おおたとしまささんに聞く子どもを苦しめない心得

教育問題

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2019/09/10

2019年の夏、裁判が終了した名古屋の小6受験殺人事件。この事件を機に「教育虐待」という言葉も少しずつ知られてきています。

受験生を抱えた親にとって、子どもにどのような言葉をかけたらいいかは悩みの種ですが、虐待になってしまわないように、どんなことに気を付ければよいのでしょうか。

しつけを理由に虐待をしてしまう親たち

2019年8月28日、鹿児島県出水市で4歳の女の子が亡くなりました。死亡の原因は風呂場で溺れたことによるものとされていますが、女の子の全身には殴られたような跡があり、母親の交際相手の男性が暴行の容疑で逮捕されました。

ここ数年、このような虐待死事件をニュースで目にすることが増えてきました。

2018年3月に東京都目黒区で起きた、船戸結愛ちゃん(当時5歳)の事件、2019年1月に千葉県野田市で起きた、栗原心愛ちゃん(当時10歳)の事件など、痛ましい事件が報道されるたびに、多くの人が胸を痛めています。

そんな中、2019年7月、3年前に愛知県名古屋市で起きた小6受験殺人事件の裁判員裁判の判決が出されました。

これは、小学校6年生の長男を包丁で脅しながら中学受験の指導をしていた父親が、その息子の胸を刺して殺してしまったという事件です。

父親は、自分の母校である有名私立中学に息子を進学させようと、日常的に暴力を振るいながら勉強を教えていたと言います。刺した動機は、指示通りに勉強をしなかったからとのこと。

裁判の判決では、懲役13年(求刑懲役16年)が言い渡されました。

この事件をきっかけに、「教育虐待」という言葉を知った人も多かったのではないでしょうか。検察も「教育の名を借りた虐待ともいえる身勝手な犯行」と論告求刑で指摘しています。

しつけのつもりだった、と自分の虐待を語る親も多いですが、しつけと同じように、教育もまた虐待をした理由として使われてしまうことがあります。

教育と虐待、その境界線は?

しつけや教育は、本来子どものためを思って行うものです。しかし、それが言い訳となり虐待へ至ってしまう事例があるのも現実です。では、いったいどこまでが子どものための教育で、どこからが虐待なのでしょうか。

2019年7月に『ルポ 教育虐待』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を出版した、教育ジャーナリストのおおたとしまささんはこう言います。

「客観的な境目は現状ありません。しかし、子どもの受容能力を超えてまで勉強させ、そのために身体的あるいは言葉・態度による暴力に及ぶことが、教育虐待だと私は考えています」

子どもは、勉強の強制によって肉体的・精神的に苦痛を感じていても親子の力関係により「ノー」と言うことができず、教育虐待が進んでしまうことが多いのだと言います。

筆者がこれまで取材や子どもの支援活動を通じて出会ってきた子どもたちの中にも、こんなことを話してくれた子たちがいました。

「テストで思ったような点が取れないと、『だからあなたはダメなんだ』と言われる」

「受験に失敗したとき、『あなたのためにいくらかけたと思っているの』と責められた」

「勉強のために、全ての趣味を禁止された」

「受験生は勉強をしなくてはならないからと、兄妹の中で自分だけきちんとした食事を与えてもらえない」

このような話を聞くたび、殴る・蹴るといった身体的な暴力を受けたわけでなくとも、子どもは心に深く傷を負っているのだと感じます。

「名古屋の事件も特異な例ではなく、恐怖によって勉強をさせるように仕向けるのが、教育虐待の典型例です。事件のように実際の包丁ではなく、『あなたはダメ』『家から出て行け』『受験なんてやめてしまえ』といった言葉のナイフを振りかざす親もいて、それによって心に致命傷を負う子どももいます。

プレッシャーによって自ら命を絶ってしまったり、重い後遺症に苦しみ続けたり。脅されて勉強をした子どもの傷は、簡単には癒えません」

と、おおたさん。

でも、受験生や、テストが近い子どもにはついつい「勉強しなさい!」と言いたくなってしまい、サボっているように見えるとイライラしてしまうことも、ありますよね。

それが教育虐待になってしまっていないかは、そのときに脅すような言葉を使っていないか、子どもの需要範囲を超えた要求をしていないか、子どもを傷つけるようなことをしていないかと、落ち着いて考えてみる必要がありそうです。

約束事が増えていったら要注意!

自分のやり方が教育虐待になっていないかどうか不安な親御さんには、ひとつの目安として「子どもとの約束事が増えていないか」を振り返ってみるのもよいと、おおたさんは言います。

「名古屋の事件では、被告人の一家はみな名門進学校出身者。そして長男は薬剤師として実家の薬局を継ぐことが、一族の方針になっていました。その中で、小6の息子はあくまでも自分の意志で中学受験を選んだということにされています。

しかし、これが危険なのです。本人がやると言ったから、という大義名分が、虐待行為に及ぶ正当性を親に与えてしまうのです。

勝手に約束をさせられ、それを破ったからといって虐待をする。『私はただ感情的に怒っているのではない』という言い訳を親に与えてしまうのです」

船戸結愛ちゃんの事件でも、生活の中での「約束事」が約20項目決められており、それを守らないと虐待が加えられていたそうです。

「約束を破ればまた新たな約束ができて、何をしても叱られるという構図になります。約束が増えていったら、すでに子どもを追いつめているかもしれないと、注意をしたほうがよいでしょう」

どんな人が虐待をしやすい?

さまざまな虐待事件を見ていると、加害者となった親も、子ども時代につらい環境に置かれていたケースは少なくありません。

もちろん、虐待を受けた人がそのまま虐待をする人になるとは限りませんし、そうしたトラウマを抱えていない人が虐待をするケースもあります。

ただ、教育虐待をしてしまう親には、ある傾向が見られるとおおたさんは言います。

2つの意味で学歴コンプレックスを抱えた人が多いです。まず、自身が学歴で不利な経験をして、『学歴がないと苦労するから』と言いながら自分のコンプレックスを晴らすために、子どもに過度な期待をするケース。もうひとつは、

高学歴の親が、その生き方しか知らずに、子どもがそれ以外の道を歩むことを極端に恐れて教育虐待をしてしまうケースです」

自分の学歴に不満を持っている人や、高学歴でないと人生はうまくいかないと強く思い込んでいる人は、注意が必要かもしれません。

「高学歴でないとダメだという恐怖心を持って、子どもに親が決めたルートを歩ませようとすると、その恐怖心は子どもにも引き継がれます。

でも、恐怖心を子どもに引き継ぐのではなく、自分の代で断ち切ることが、本当の意味で子どもを守ることではないかと思います」(おおたさん)

子どもの進路を家族で考えるときには、親が歩んできた道、歩めなかった道にこだわらず、「子どもの人生は子どものもの」という前提を持つことが大切になってきます。

他人の力を借りることも重要

虐待は、親自身がこれは虐待であると気付かないうちに進んでしまうこともあります。本気で「これは教育だ」「これはしつけだ」と思って虐待をしてしまう人もいるでしょう。

でも、事件になるようなひどい虐待にいたらなくても、ちょっと叱りすぎたかな、ちょっと言い過ぎたかなということは、誰にでもあるはずです。

そういうふうに反省をしたり、「これは虐待かも」と自分の行動を振り返ることができたりする親であれば、深刻な虐待にエスカレートする可能性は少ないのではないでしょうか。

おおたさんも、「親も未熟ですから、少しずつ成長していけばいい」と話します。

そして、親だけが子どもを育てていると思わず、ときには他人の力を借りることも虐待を防ぐことにつながるとのこと。

「学校はもちろん、塾でもいいし、習い事でもいいし、家庭教師でもいい。自分がしっかりしなくても、他にも子どもを見守り、教育してくれる人がいると思えれば、親も視野が狭くならずに済みます」

まず、親自身が一人で抱え込まずに人を頼り、気持ちに余裕を持つことが大切ということですね。

取材協力

おおたとしまさ

教育ジャーナリスト。1973年、東京都生まれ。麻布中学・高校出身で、東京外国語大学中退、上智大学英語学科卒。中高の教員免許を持ち、リクルートから独立後、独自の取材による教育関連の記事を幅広いメディアに寄稿、講演活動も行う。著書は50冊以上。

(取材・文/大西桃子)

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この記事を書いたのは

大西桃子
ライター、編集者。出版社3社の勤務を経て2012年フリーに。月刊誌、夕刊紙、単行本などの編集・執筆を行う。本業の傍ら、低所得世帯の中学生を対象にした無料塾を2014年より運営。