【大人の失敗から学ぼうVol.07】失敗と思うヒマもないほど動けば道が拓けていく!(ゼライ直井)

生徒・先生の声

2021/09/28

さまざまなシーンで活躍する大人たちに、過去の失敗談を伺うこの連載。今回登場するのは、特殊メイクアップアーティストのゼライ直井さんです。

特殊メイクというと、今では映画やドラマで役者がフランケンシュタインや吸血鬼などの怪物になったり、リアルな怪我を表現したりするのに欠かせないものとなっています。

1990年代以降『フォートレス』や『ゴジラvsビオランテ』など国内外の数多くの映画や、CM・TV番組・舞台などで活躍されてきた直井さん。
今回インタビューを打診したところ、
「アーティストにとって、日々の作業や現場での失敗は必要不可欠なものでもあります。面白い印象的な失敗エピソードというよりも、『失敗』そのものについてお話させていただくことになると思います」
とのお返事が……。
いったいどんなお話になるのか、詳しく聞いてみましょう!

高校時代からアシスタントを経験

―― 直井さんは高校生時代から特殊メイクのアシスタントをされていたとのこと。いつ頃からその道を志すようになったのですか?

実は、もともと特殊メイクを仕事にして食べて行こうと思っていたわけではないんです。当時はただ特殊メイクやクリーチャーの造形に興味があり、自分もやってみたいという思いだけでした。以降も、仕事にすることを考えて動いてきたわけでなく、いつの間にか仕事になっていたという感じで。

―― 好きが高じて、ということですね。特殊メイクに興味を持ったきっかけは何だったのでしょう。

僕が子どもだった1980年代前半には、日本ではまだ特殊メイクという分野が確立されていなかったんです。怪談映画の幽霊のメイクなどはありましたが、それも通常のメイクさんがやっていたんです。ちょうどその頃、海外ではハリウッドがシリアスな人間ドラマものからSF映画を作るようになっていて、SFX(特撮)の技術が大きく発展していきました。『スターウォーズ』や『ゴーストバスターズ』などの時代ですね。中学生だった僕は、そのブームを目の当たりにして、どうやって怪物やクリーチャーを作っているんだろうと興味を持っていったんです。
さらに中学生の後半からは日本でもホラー映画ブームが起きて、テレビ番組や雑誌で特集が組まれるようになりました。そこで特殊メイクという仕事があるということを認識しました。
それから、特殊メイクや造形のアーティストのインタビューを読みあさって、作る課程や、どういう考えで作っているのかといった情報を得ていったんです。映画そのものも楽しかったですが、僕にとってはその裏でどんな人が、どんなふうにその映画のシーンを作ったかということのほうが面白くて、次第に自分もやってみたいと思うようになりました。
日本では特殊メイクや造形のことが詳しく書かれた雑誌や書籍は少なかったので、英語を勉強しながら海外の雑誌や専門書もたくさん読みましたね。

―― 高校時代にアシスタントの仕事をされていたとのことですが、その経緯は?

当時は特殊メイクや造形の材料を手に入れられる場所は限られていたんです。映画などの制作現場で使うために大量に仕入れて卸しているところしかなく、そこで余ったものを個人で購入させてもらうという形でした。僕もそういうところで材料を入手していたんですが、狭い世界なので、買いに行くとプロとして仕事をしている人たちと出会うことができたんですね。それで、映画の造形制作チームでスタッフが足りない、猫の手も借りたい、ということでアルバイトをさせてもらえることになったんです。当時参加させてもらったのは、『ゴジラvsビオランテ』や、爆風スランプが主演する『バトルヒーター』などの映画でした。

―― 原点となる体験ですね。

はい。ひたすら色塗りをするなど地味な作業が多かったですが、プロの人たちの仲間入りができたことが本当にうれしかったですね。

無計画な海外生活。だからこそ、得られたものが大きかった

―― 高校を出てからはどうされたんですか?

卒業後の進路は、海外に行くか美大に進学するかの二択で迷いました。美大入試のための予備校にも通ったのですが、この道は合わないなと感じて、海外に行くことに。ただ、高校までの美術の授業ではやらないような、デッサンや彫刻などの基礎を予備校で一部学べたことは無駄ではなかったと思っています。独学だけでなく、一般的な芸術の方法を知ることで得られるものも大きかったので。
場所は、いとこが住んでいたので、その安心感もあってオーストラリアを選びました。オーストラリアには1年半いましたね。

―― 留学という形で行かれたのでしょうか。

留学して学校で勉強するというより、もっと広い世界を見てみたい、日本にはない映画の技術を見てみたいと思ったので、ワーキング・ホリデーの制度を利用しました。
90年代のオーストラリアでは、ハリウッドが撮影所を作るなど、映画制作が盛り上がりを見せ始めた時期でした。ワーナーブラザースもゴールドコーストに「ムービーワールド」というテーマパークを作り、その裏に映画の撮影所を作ったのですが、いとこの家が偶然近くにあってそのオープン初日に見に行くことができました。
ただ、当時は今のようにインターネットで情報が得られるわけでもなく、僕が名前を知っていた特殊メイクアップアーティストもオーストラリアには1人だけ。ほとんど無計画に、何の準備もなく行ったんです。

―― 無計画な海外生活では、失敗もたくさんありそうですが……。

それが、今回のインタビューの本題になると思うのですが、僕は「失敗」と言えるようなエピソードを特に持っていないんですよ。今から考えたら、無計画がゆえに無駄足を踏んだり、相場よりも高いホテルに泊まってしまったりと、失敗のようなことはたくさんありました。ただ、情報がないのでしかたがありません。当時はそれが失敗なのかどうかもわからないくらいの毎日で、ただひたすら毎日前に進むだけでした。これは、今プロとして仕事をしている日々でも同じことが言えるんです。

―― なるほど。具体的に、オーストラリアではどのような日々を過ごされていたのでしょうか。

まずは、特殊メイクや造形の材料を売っている店を探して、日本では売っていないものを見て回る。そこで店員さんや出会った人たちに、特殊メイクをやっている人たちを紹介してもらったり、仕事に参加させてもらったりして、次にやるべきことがどんどんできていく……という毎日でした。
映画『マッドマックス』の特殊メイクを担当されたアーティストがオーストラリアにいたので、その方に会いたいと思っていたのですが、電話番号は入手できたものの忙しくて会うことはかないませんでした。ただ、何度も電話をかけていたらそのアシスタントをしている方には会ってもらえて、アーティストとはどういうものかなど大切なことを教えてもらいました。今、僕の中では今でも一番の師匠はその人ですね。

―― 無謀に思えても、積極的な行動で新たな道がどんどんとひらけていったのですね。

そうですね。たとえば材料を扱っているお店に行っても、そこでただの客として見物しているだけでは世界は広がらなかったと思います。知りたいことをどんどんお店の人に聞いてみることで、思っていたより多くの情報が得られたり、新しい人との出会いにつながったりする。一度挑戦してみてダメだったことを「失敗」だと思って終わらせてしまうのではなく、しつこく当たり続けることで違う道が開けていく。そういうものだと思います。
今はインターネットで多くの情報が得られてしまう分、先のイメージを勝手に作り上げてしまって、それ以上に世界を広げられないことが多いと思うんです。もっと言えば、あらかじめ得られた情報から「自分には無理だ」と行動する前に判断してしまう。無理かどうかの判断材料がなければ、失敗かどうか考えることもなくどんどん前に進めると思うのですが。

―― たしかに、情報に縛られて行動を狭めるのではなく、まず身体を動かしてみることも大切ですね。

「成功」にとらわれずに動き続けることで、道ができていく

―― プロとしてお仕事をされている今でも、10代20代の頃と同じような感覚で特殊メイクや造形に向き合われているのでしょうか。

特殊メイクや造形の技術は、どんどん進化を続けています。新しい材料も次々に出てくる。だから、ベテランになっても常に新しいものと向き合っていかなくてはなりません。ハリウッドの有名アーティストも、「いくら大御所になっても、偉そうにはできないのがこの仕事」だと言っています。新しいものが出てきたら、自分なりに失敗を重ねて試行錯誤して使いこなせるようにならなければいけないし、場合によっては若い人たちに頭を下げて聞くことも必要です。だから、10〜20代のときに持っていた情熱をもし失ってしまって挑戦することができなくなったら、この仕事はできないんですね。
僕の中では、ずっと「80年代当時の自分の気持ち」を思い出すことがモチベーションになっていて、当時集めた本を読み返したりして自分を鼓舞しています。当時の自分が何を作りたかったかを思い出すことがパワーになって、次の作品が生み出せるんです。

―― 当時と同じ感覚で進み続けているから、まだまだ「失敗」だと思うようなヒマはない、と。

あえて言うなら、手がけた作品を見返すと毎回必ず、失敗というか「ここをもうちょっとこうすればよかった」「もっとうまくできたはず」とは思うんです。現場で作っているときにはうまくいっていると思っても、いざ映画の中で撮影されたものを見ると思ったような表現にはなっていなかったとか、細かい部分でいくらでも改善点が見えてしまう。だから、毎回「成功」だとは思えていないんです。

―― お話を伺っていると、そう思って物事に取り組んでいる人たちが、その道を切り開いていく人なんだろうなとも思えます。

ゴジラを生み出した円谷英二さんも、「空想の怪獣が東京を襲ったらどうなるか」という誰もやったことがない表現を、それまでの経験を活かしながら試行錯誤して作ったわけですよね。当時は「映画監督」はいても「特撮監督」という職業はありませんでした。それを円谷さんが作ったので、懸命に挑み続けることさえできれば、今までなかったものを仕事として確立していくこともできると思います。
できない、うまくいかないのは当たり前のことです。やりたいことがあるのなら、壁にぶつかったときにいちいち「失敗」だと重く受け止めるのではなく、次のことをやるしかありません。行動することで、思ってもいなかった方向に物事が転がったり、新しいものが見えてきたりしますから。

―― 失敗、成功、という言葉にとらわれすぎないことが重要なんですね。今回はありがとうございました。

取材協力

ゼライ直井さん

特殊メイクアップ・アーティスト、特殊造形家。1972年生まれ、東京都出身。高校時代から『ゴジラ対ビオランテ』『ZIPANG』などの映画に参加。1991年、オーストラリアへ渡り『フォートレス』(1993年)などのハリウッド映画数本に関わる。帰国後独立し、TV番組、映画、YouTubeで6000万アクセスを記録したセイキン&ヒカキンのミュージックビデオ『Keep Your Head UP』のゾンビなどの特殊メイク・造形を製作。最新作は映画『シャーマンの娘』(近日公開予定)、手塚眞監督のミュージックビデオ、フィリピンのホラー映画など。

<取材・文/大西桃子 >

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この記事を書いたのは

大西桃子

ライター、編集者。出版社3社の勤務を経て2012年フリーに。月刊誌、夕刊紙、単行本などの編集・執筆を行う。本業の傍ら、低所得世帯の中学生を対象にした無料塾を2014年より運営。