【研究者に聞く】 ギフテッドは天才?いいことだらけって本当?

専門家に聞く

2023/08/22

ギフテッドという言葉をご存じでしょうか。

高いIQがあり、芸術的なセンスや数学や科学に特化した能力を持っている存在として、聞いたことがある人も多いかと思います。近年では、ある特性を持つ子どもがギフテッドと呼ばれるようになっています。

また一方で、映画やドラマ、マンガに出てくる彼らはちょっと変わったところもあったりして……。ADHDやASDといった発達障害の特性を持つ子どもというイメージを持っている人も、いるのではないでしょうか。

こうしたギフテッドの研究を行い、当事者とその家族の支援や相談対応を行っているのが、北海道教育大学旭川校教授の片桐正敏先生です。

『ギフテッドの個性を知り、伸ばす方法』(小学館)の著書でもある先生に、ギフテッドと発達障害の違いや、ギフテッドの特性を伸ばす環境のほか、少し突っ込んだ部分も含めてお話を伺ってきました。

ギフテッドと発達障害はどう違う?

――ギフテッドとはどのように定義づけられているのでしょうか?

まず断っておかなくてはならないのが、ギフテッドとは、日本においては明確に定義づけられている概念ではないということです。アメリカでも、州によって定義づけは異なっているのです。反対に質問をしてしまいますが、ギフテッドというとどのようなイメージがありますか?

――いわゆる天才児や特別な才能のある子どもという印象があります。

そのように思われる方が多いと思いますし、間違いではありません。知的想像力や芸術に関する才覚やリーダーシップ、特定の学問分野に高い能力を発揮する、IQは120、または130以上とされているなどですね。でも一番大切なのは、そうした突出した能力を持っていて、かつ「配慮や支援が必要な子ども」という点なのです。

――どのような特性によって「配慮」や「支援」が必要なのでしょうか。

特に幼児期に顕著なのですが、高い知能を有しているがために、周囲になじめないことがあります。たとえば幼稚園児が「君の好きな元素は?」と友達に聞いたらどうでしょう。「?」ですよね。周囲の話題と噛み合わないんです。そのために不登園となる子もいます。周りの大人にも理解されづらく、傷ついてしまうこともあります。

――他の子どもたちと何かが違うというと、ADHDやASDなど、いわゆる発達障害のイメージと重なるところがあるのですが、いかがでしょうか。

発達障害と勘違いされることも多いですし、実際にギフテッドに加えて発達障害のある子ども(2E:トゥーイー、とも言います)もいます。多動や衝動性、書字障害があったり、好きなことに集中し過ぎてしまったりと、ギフテッドの特性の一部は、発達障害の特性と捉えられがちなものもあります。
しかし、発達障害の場合にはこまやかな療育が必要とされる面が、ギフテッドの場合は、周囲がある程度環境を整えてあげられれば自力でどうにかできたりするのです。

――それは、もともとの能力が高いからということでしょうか。

そうですね。癇癪を起こすギフテッドも多いのですが、激しい情動を発露してしまっても、一方で冷静な判断はできているのが特徴的です。「ボクはこのままだと怒っちゃうから、この場から離れたい」と、自分で宣言する子もいるくらいです。優れた客観性を持っているので、いわゆるTPOについてもよくわかっていることが多いです。

――普通の子どもより大人びていて、あまり困ることがないような気もしますが、どの点で配慮や支援が必要なのでしょうか。

そう思われてしまうことそのものが、困難さにつながります。ギフテッドは高い能力があるために本来苦手とすることも、得意な領域で補うことで、できてしまうのです。大変な労力やストレスを感じながらも、高い能力でカバーできてしまうということです。一見できているように見えるからこそ、周囲の理解が必要となるのがギフテッドなのです。

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感性の豊かさや正義感の強さが、困りごとにつながることも

――ギフテッドの抱える具体的な困りごととして代表的なものを教えてください。

幼児期から青年期にかけて一貫した困りごととしては、感覚が過敏なことが挙げられます。一般的には目で捉えられない蛍光灯の点滅が耐えられない、学校の教室が騒々しいと気になってしまう、などです。不快に感じる閾値が低い傾向にあります。

――感覚過敏であることへの配慮や支援とは、どのようなものになるのでしょうか。

多くの場合、感覚過敏は環境を調整してあげるだけで改善が可能です。ただし難しいのは、周囲の気づきです。子どもは自分の感じ方を特殊だという自覚を持たないことが多く、周りに訴えかけることができずに我慢してしまうことが多いのです。

――他者の感覚を理解するのは、簡単なようで難しい気がします。

そうなのです。先ほどの蛍光灯の例でいうと、点滅が高速だから理解できないのですが、これが「切れかけた蛍光灯」だったらどうでしょうか。チカチカして気になって勉強などに集中できないと思います。このように子どもの感じ方に共感することで、「じゃあどうしようか」と初めて考えることができるのです。

――小学校の高学年、思春期にかけてはいかがでしょう。

成長していくにつれ、幼い頃にあった癇癪や多動は収まっていく傾向があります。ただし別の問題が顕在化していく例が多いのです。皮肉なことに、それは彼らの持つ「正義感」が原因であったりします。
たとえば、誰かがクラスメートの陰口を言ったり、廊下を走ったりするといった、ささやかな悪事が許せない傾向があるのです。相談に来たある子は、「修学旅行に行きたくない」と言いました。理由を聞いてみると、旅行中にありがちな「買い食い」などの逸脱行動が許せないというのです。思春期にありがちな行動が、彼らにとっては大きなストレスになることが多いのです。

――人間関係もより難しくなる気がします。

彼らは「正しさ」や「規範」について確固たる信念を持つがために、周囲から非難を受けてしまうことがままあります。その正義感は、周囲の大人にも向けられます。「校則ではスマホ禁止なのに、なぜ先生はスマホを持っていてもいいのか?」などと疑問を持ったら、先生を追求してしまうこともあります。
合理的な説明を求めているだけなのに叱られてしまって納得がいかない、そんな状況に陥りがちなのです。

――それだと自分を追いつめてしまいそうです。

そうかもしれません。他にも、クラスでいじめが起こっていることが耐えられない、という子もよく見ます。自分が被害者ではなくても、その状況が耐えられずに不登校になってしまう子も。他者への共感力が高いためですが、本人もつらいだけでなく、こうなってしまうと親も先生も対処に困ってしまうのです。ADHDやASDの児童や生徒に対しての一般的な考え方で接していると、ギフテッドは難しいという例です。

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ギフテッドの特性を活かせる環境とは?

――では、ギフテッドが持つ能力や才能を活かすことのできる教育環境とはどのようなものがありますか?

子どもの学びを邪魔しない。これに尽きるのではないでしょうか。親は子どもがギフテッドだとみなされると「才能を伸ばしてあげたい!」と強く思ってしまうものです。進路や将来についてのイメージを、はっきりさせ過ぎてしまうこともあります。そのせいで本来子どもの持っている感性や、自ら学ぼうとしていることを阻害してしまうこともあるのです。

――親が子に期待してしまうのは仕方のないことなので、なかなか難しそうです。

私も子を持つ親なので、期待する気持ちは痛いほどわかります。しかし、才能を開花させたいがために親が押し付けてしまうと、子どもは嫌がって逆にその道を閉ざしてしまうことになってしまうかもしれません。

――知的好奇心が高く、自由に学ぶことを求めるのであるのなら、通信制高校を進路として考えるのはいかがでしょうか。

良い選択のひとつだと思います。私は以前、通信制高校で教えていたこともありますが、自分の興味関心のある分野に時間を使えることは、ギフテッドにとって理想的だと言えます。押し付けや制限が少なく、自主性が求められるあたりも適しているでしょう。
ただし、発達障害の傾向があると診断されている場合、注意を要することもあります。ギフテッドそのものは自己管理をあまり苦手とはしませんが、ADHDのあるギフテッドの場合は時間の管理などを不得手としているので、学校や医師ときちんと相談をしたほうがいいと思います。

重要なのは、子どもの特性を見逃さないこと

――ここまでお話を伺ってきましたが、それでもよく知られる発達障害とはどう違うのか、まだ少しはっきりしないような気もします。能力の高い発達障害がギフテッドなのかな、と。

そのように感じるのも無理はありません。正直なところ、専門家でもよくわからないことが多いのです。その子のある側面だけを切り取ってしまったがために、定型発達児であっても発達障害だと誤診されてしまうことも、時に起こり得ます。
重要なポイントは、発達障害は精神医学上の診断が可能ですが、ギフテッドはそれができないということです。病気や障害ではないので治療はできませんし、そもそも治療の必要がありません。そこで、ギフテッドと発達障害は一度分けて考えてほしいと、みなさんには伝えています。

――ギフテッドと発達障害を一緒くたにして考えないというのは、分類が難しいからという理由以外にも何かあるのでしょうか。

まず支援ニーズや教育ニーズが、ギフテッドと発達障害では異なります。どちらか一方だけだと思い込んでしまうと、適切なニーズに応じた対応ができません。そういう意味では、ギフテッドの特性も発達障害の特性もどちらも見逃してはいけません。ただ、我が子の障害を否定したいために、発達障害よりもギフテッドだと思いたいという保護者もいるとは思います。

――保護者がそう思ってしまうことの弊害はどうなのでしょうか。

ギフテッドだと期待するがために、発達障害によって生じる諸々の困りごとを見逃してしまう危険性があります。たとえば、ASD傾向があって他者の感情を類推することが難しいのに、ギフテッドだと思いこんで対応してしまうと、発達障害の傾向のある子どもがかえって生きづらくなってしまう場合もあるのです。

――逆に、発達障害だと思って対応していたところ、ギフテッドだった場合のリスクもあるのでしょうか。

はい。最初に申し上げたとおり、ギフテッドには発達障害とは異なる配慮や支援が必要です。ギフテッドに対して発達障害への支援法で療育を行うと、的外れになり、かえって彼らを苦しめることにもなりかねません。

――ギフテッドも発達障害も一緒くたに考えてしまうと、配慮や支援の必要なポイントを見落としてしまうことがあるのですね。

そうですね。ギフテッドという言葉は誤解を生みかねない点もあるのですが、わかりやすいラベルがないと、保護者や学校教員の理解も得にくいのが実情です。発達障害は一般に知られるようになり、教育機関での支援体制も整ってきました。しかし臨床での診断の有無が問われるため、そこから取りこぼされる子もまだまだ多いという事実が、私たち支援者の課題となっています。

ギフテッドも発達障害も、子どもの可能性は無限

――ギフテッドという言葉のイメージにとらわれすぎないように、私たちは注意が必要なんですね。

はい。配慮や支援が必要にも関わらず、それらが不十分で置き去りになってしまう子が出てくることを防ぐために、あえて「ギフテッド」という言葉を使っていると理解していただけるとありがたいです。言葉がひとり歩きすることについては、憂慮しています。

――もともとが才能や能力を指し示しているのではなく、支援するために概念として考えればいいのですね。

はい。ですからギフテッドに対して過度な期待を持つのは避けてほしいのです。ギフテッドだからといって子どもの将来が約束されているわけでもありませんし、IQが高いことが親の望むような成長を保証するわけでもありません。
強みがある代わりに、コインの裏返しで弱みもあります。支援が必要であるには違いなく、環境次第だということを理解してほしいです。

――ギフテッドと発達障害は分けて考える必要がある、というのが理解できました。

私はギフテッドも発達障害も、どんな可能性もあり得ることを念頭に、相談や支援にあたるようにしています。今は、人の特性や心のあり方に関わる言葉がさまざまな場所で飛び交う時代となっています。保護者のみなさんや教職に就く方々は、言葉のイメージや子どものとる行動、情動の一側面だけで決めつけてしまうことは避けてほしいと願っています。もちろん当事者本人も、です。

――専門に研究している先生でも難しいからこそ、周囲の大人たちはなおさら気をつけなくてはいけないのですね。

はい。才能や能力、可能性というのは、ギフテッドに限らずどんな子どもにも広がっているはずです。そもそも、すべての子どもは本来「贈り物」と言い換えられるはずなのですから。だから、子ども一人ひとりが持つ特性をよく見てあげて、理解するよう努めてほしいのです。そうすることで花開くことが、子どもが幸せになることなのだと思います。

取材協力

片桐正敏さん

北海道教育大学旭川校教授。2011年北海道大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。国立精神神経医療研究センター精神保健研究所、富山大学大学院医学薬学研究部、浜松医科大学子どものこころの発達研究センターを経て現職にいたる。専門は臨床発達心理学、発達認知神経科学、特別支援教育。基礎的な研究と併行して臨床研究も行っており、発達障害のある子どもやギフテッドと目される子どもの相談・支援活動も行う。著書に『ギフテッドの個性を知り、伸ばす方法』(小学館)など。

<取材・文/中島理>

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この記事を書いたのは

中島理

1981年、北海道生まれ。バーテンダー・会社員を経てライターへ転身。ムックを中心に編集や執筆に携わる。引きこもり経験を持ち、若年層の進学・就労にまつわる心の問題に関心。