紺野ぶるま「通信制高校に通ったことは、美談にはできない」それでも選択肢のひとつとして薦める理由

著名人メッセージ

2022/09/07

全日制高校を退学後、通信制高校に通っていたお笑い芸人の紺野ぶるまさん。毎日同じ時間に起きる、厳しい校則を守る、ついていけない授業を受ける――そんな高校生活をしんどく感じていた彼女ですが、退学後に待ち受けていたのは、自由すぎる日々ゆえの苦しさでした。

「あの頃のことは、美談にはできない」。そう話しながらも、通信制高校での生活で得た考え方や価値観が、今の人生に繋がっているともいいます。通信制高校という選択肢は、紺野さんや、高校選びを考える人たちにとって、どのようなものなのでしょうか。

全日制高校を辞めたことは、正直後悔している

――紺野さんは高校2年生のときに、私立の全日制高校を退学になりました。その後、どんな経緯で「通信制高校」という進路を選んだのですか?

最初は、別の全日制高校への編入も考えていましたが、また全日制に通うのはしんどいなと思っていたんですよね。1限から6限まで座って授業を受けているのも、制服を着て毎日電車に乗って通うのも。勉強も苦手でしたし。

通信制高校なら週に一度や月に一度だけ行って、あとは自宅学習をすれば単位が取れる。そうと知って、通信制高校に興味を持ちました。

――どのように学校選びをされたんですか?

私が高校選びをした当時はまだ、インターネットよりも紙の資料が主流だったので、通信制高校の情報が載っている本を買い、調べました。私立の全日制高校に通っている時点でけっこう学費がかかっていて、通信制高校も私立が多いので、できるだけ学費が安い学校を検討していました。

通信制高校には、もともと憧れていたんです。毎日学校に行かなくていいなら、ほかの日は自分の好きなアルバイトをしたり、友達と遊んだりできて、自由だろうなと思っていたので。

――通信制高校は自由に過ごせる反面、自分を律する力がないと、大変な面もあるのではないでしょうか。

本当にその通りで……! 自由過ぎることの大変さには、入学してしばらく経ってから気づきました。入る前は「自由だ! やったー!」くらいに思っていたんですけど、いくらでもダラダラできちゃう。起きなきゃいけない時間が決まっていないから、眠り続けて夕方の5時に起きて、朝の5時ごろ寝る。気づけばそんな生活になっていました。

実際、恐怖しかないですよ。起きたら外は暗くなっていて、全日制の学校に通っている友達は授業どころか放課後の時間まで終わっている。そのころ私はようやくふとんから出て、ごはんを食べて、夜中の2時になったらIWGP(『池袋ウエストゲートパーク』)の再放送を観る。楽しい。終わる。テレビに映る砂嵐を眺める。朝の5時になって寝る。で、起きたら夕方の5時。しばらくはその繰り返しでした。

――どうやってその生活から抜け出したんですか?

ある日、朝の5時に寝ずに、次の夜まで起き続けていれば、昼夜逆転生活を抜け出せるんじゃないかと思ったんです。でも昼ごろになるとやっぱり眠気に襲われるんですよ。それで一旦30分だけ寝ようと思って、眠ると夕方の5時になっていて。結果、眠れなくなって、また朝の5時になる。さすがに自分ではどうにもならないと思って、アルバイトを始めることにしました。

もういろいろやりましたよ。カラオケとか、ティッシュ配りとか、試食販売とか。そうして働くことで、一気に生活リズムが戻りました。結局、自分の力で生活を整えるのはハードルが高くて、ある程度決められていたほうが暮らしやすいんですよね。

――通信制高校に入ってからの学校生活はいかがでしたか?

私の通っていた高校はレクリエーションが多くて。トランポリン体験をしたり、先生の犬と触れ合ったり。リップクリームを作る授業もありました。

周りの人たちとは年齢もバラバラでしたけど、けっこう仲良くなりました。卒業してからも交流がある人もいますよ。ギャルはいっぱいいたし、前の学校でイジメられていた子もいたし、頭が良すぎる子もいた。ギャルの子に「漢字とか書かなくなって、忘れちゃうよね」って話したら、「え、プリクラにけっこう書いてるじゃん。“ウチら最強”」とかって言われて笑いました。

――楽しそうですが、大きく環境が変わることで不安にもなりそうです。

正直、後悔しました。「大人の言うことを聞いて、全日制高校に通っていればよかった」って思いました。「通信制高校に行ったことで、全部自由で楽しく過ごせました」と美談にはならないです。

でも、全日制高校に通っていたときは、周りの大人が全員わざといじわるしていると本気で思っていたんです。短くしたスカートも、ルーズソックスも、先生だってこのほうがかわいいと絶対に思っているはずなのに、指導するのが仕事だからダサくさせてるんだって。

授業中に寝て叱られたときに「この勉強がいつか役に立つんだから」と言われても、今しかできないことがもっと他にあるはずだって思っていました。放課後に友達と遊んだり、『egg』読んだりしてるほうが、絶対に今しかできないことなのにって。だから当時は、周りの大人全員が敵に見えていました。

――通信制高校ではそういった縛りやルールからは解放されたと思いますが、どのように感じましたか?

最初のうちは毎日自由で楽しくても、そんな生活は一週間くらいで飽きる。ギャルメイクをして、髪を派手に染めて、それは全日制高校にいたから目立ったけど、平日の昼間に渋谷へ行ったら、私のことなんて誰も見てなかった。ひとりぼっちで恐ろしくなって、「今しかできないこと、これじゃなかった」と気づきました。

勉強ならひとりでもできると思って、教科書を開いてみたんです。ところが、何が書いてあるのかさっぱりわからない。授業で教えてもらっていたから意味がわかっただけで、ひとりで教科書を開くだけじゃ、なんにもわからなかったんです。

わからなすぎた結果、『寿限無』を覚えたり、さかなへんの漢字をずっと書き続けたりしていました。芸人になったらそれらが役に立ったので、よかったですけど。孤独ゆえに身についた、偏った知識ですね(笑)。

自分の人生を「なんとなく」にしない力

――では、通信制高校で良かったと感じることはなんですか?

「本当にやりたいことってなんだろう?」と考えられたのが良かったです。全日制高校に通っていた頃は、なんとなく「卒業したら短大か専門学校へ行こうかな」と思っていたんです。通信制高校でもそれは同じだと考えていたんですけど、高校3年生になっても先生から進路の話をされなくて。

だから「先生、そろそろ進路の話をしなくていいんですか?」って聞いたら、一体何を言っているのかみたいな顔をされて。周りの子に聞いてみても「興味ない」とか「親に言われたから通っているだけ」とか「彼氏と一緒にいられたらハッピー」とか……それしか返ってきませんでした。ここは先生が良さそうな進路を決めて、そこから正解を選ぶ場所じゃないんだと、衝撃を受けました。

その後、本屋でオーディション雑誌を見つけたとき、「芸能人になりたい」と思ったんです。その発想ってたぶん、私が全日制高校にあのまま通い続けていたら、なかったんですよ。きっと、用意された進路の中からなんとなく選んでた。自分の道を自分で決めなきゃいけないとか、自由な発想で本当にやりたいことを考えていいとか、そう思えるようになれたのは、通信制高校に通ったおかげだと思っています。

――なるほど。自由に過ごす中で、自分の人生を考える力が養われたと。親御さんは紺野さんに対してどのように考えていらっしゃったのでしょうか。

今でこそ世間的に、苦手なことがあっても特性や個性として捉えられるようになってきましたが、昔はずっと座っていられないとか、毎日同じ時間に起きられないとかって「普通のことができないダメな子」としか思われていなかったんですよね。私もそうした特性があったので、「なんでみんなと同じようにできないの? お願いだからちゃんとして」と親から懇願され続けていました。 

――今は親御さんも、紺野さんの特性を理解されているのでしょうか?

理解しているわけじゃないと思いますけど、私の育ち方を見て、「普通」ではない生き方があることは知ったみたいです。

親は普通の会社に就職をするか公務員になって、定期的に健康診断を受けて、早めに病気を見つけたら治療して、結婚したら子供を産み育て、定年まで勤め上げたら退職金をもらう――それだけが人間のあるべき姿で、幸せの形だと心の底から思っている人なんです。そういう幸せもあるとは思いますけど、少なくとも私にとっては違いました。

26歳のとき、ブチ切れたんですよ。高校中退している後ろめたさがあるからずっと何も言えなかったんですけど、「それはあなたが思う幸せであって、私の価値観とは違う。自分が安心したいから価値観を押し付けているだけだ」って。

私、子どものとき病弱だったんです。だから卑怯だと思いつつ、そのことも持ち出して、「私が病弱に生まれたことを責めたことはないんだから、私の生き方を責め続けないでくれ」と言ったんです。それからはもう何も言われなくなりました。

――はっきりと自らの意志を伝えたことで、親御さんもようやく理解されたのでしょうか。

そうですね。はっきり言うことで、違う人間だとわかったんだと思います。言い続けていれば私が幸せになれると本気で思っていたんでしょうし、親自身が実際にその道を歩んで幸せになった自覚があるからこそだと思うので。

それこそ私が病弱だったから、普通に就職して、ダメでも失業保険をもらえるとか、病気も健康診断で早めに見つかるとか、健康リスクの少ない生活を送ってくれることを願っていたんだと思います。

――でも実際のところ、芸人という仕事は不安定じゃないですか。不安に思うことはありませんか?

めちゃくちゃあります。親の言う通りにしておけばよかったとは思いませんけど、就職しておけばよかったと思ったことはあります。

売れてないことに慣れると「自分はこんなに面白いのに、なんで誰も気づいてくれないんだ!」とか思うんですけど、いざちょっと売れて現場に出るようになると、猛者たちを目の当たりにするんですよね。そのとき「ああ、私、この道じゃなかったんだ」って思いました。

それで絶望して、資格を取って就職をしようとしたんです。でも「好きじゃない仕事に就いたら、毎日なんのために生きていけばいいの?」と思って。そのとき、アルバイトしてでもなんでもいいから、お笑いを続けていくほうが幸せだなと気づきました。それからは就職を考えなくなりましたね。

前向きな気持ちで通信制高校を選ぶ道もある

――「通信制高校で過ごしたことを美談にはできない」と話されていましたが、どんな方に通信制高校をおすすめしますか?

いろんな事情で、学校を辞めたいと思っている人もいると思います。今の学校生活に違和感があって、無理して通っているほどしんどいのであれば、通信制高校を選ぶのは、ありよりのあり。

“無理”のレベルは人それぞれだと思うんですけど、「なんとなくめんどくさいから辞めちゃうか」くらいなら、あんまりおすすめしません。通信制高校に行っても、違う種類のめんどくさいことやしんどいことがあるわけだし、あんまり考えずに決めると後悔すると思うので。想像しているような開放感が待っているとは思わないほうがいいとは思います。通学する1日を除いた、月29日フリーは、かなりしんどいんで……。

あと通信制高校には、苦手なことが多いけど好きなことに対する集中力がすごい子は多かったかもしれません。私もわりとそうで、教科書は読めないけど『egg』は隅々まで暗記するくらい読んでました。苦手なことを底上げして均すような環境よりも、好きなことに夢中になっている人たちの中で過ごせたのは、居心地がよかったです。

全日制高校を選ぶのが当たり前かもしれないけど、自分の目指したい道が見えているのであれば、最初から通信制高校を検討する選択肢もあるかもしれませんね。

――価値観の違いはあれど、退学になってからもまた高校に通わせてくれた親御さんの存在も、大きかったのではないでしょうか。

全日制高校を退学になったときは、社会のレールからはずれてしまったような気がしてすごくつらかったです。でも、両親がわたしを諦めず通信制に通わせてくれたことに、とても愛を感じました。

そういう存在がひとりでもいるだけで、見える世界が全然違うんですよ。この人たちを裏切りたくない、と思えるので。“普通”を押し付けたり叩き込まれたりするよりも、気持ちに寄り添ってもらうほうが、人って真面目に生きようと思える気がします。

――紺野さんは一児の母でもありますが、もしお子さんから「学校を辞めたい」と言われたらどうしますか?

やりたいことがあって、その道を選びたい理由を考え抜いた上で、「信じてほしい」と言われたら、信じようと思います。少なくとも楽をしたいとかめんどくさいとかじゃなく、前を向くための選択肢なのであれば、応援したいです。

全日制高校へ行って、大学や専門学校へ進んで、就職するといった道を選ぶのも、もちろん嬉しいです。ただ、そういう人生に違和感を覚えるのであれば、無理せず相談してほしいし、気づいてあげたいです。とことん話を聞きたいです。誰かが作った型にはまる努力よりも、自分の好きなことを見つけて生きていく努力をしてほしいです。それは幸せなことだと思うので!

取材協力

紺野ぶるまさん

1986年生まれ、東京都出身。17歳のときに高校を中退。21歳で松竹芸能の東京養成所に入り、お笑い芸人の道へ。「第38回ABCお笑いグランプリ(2017年)」、「R-1ぐらんぷり(17年、18年)」、「女芸人No.1決定戦 THE W(17、18、19年)」で決勝進出。「アメトーーク!」の“高校中退芸人”くくりに出演し、その後、「しくじり先生 俺みたいになるな!!」に“高校中退して大後悔しちゃった先生”として出演。著書に『下ネタ論』(竹書房)、『「中退女子」の生き方 腐った蜜柑が芸人になった話』(廣済堂出版)、『特等席とトマトと満月と』(幻冬舎)など。

(取材・執筆:鈴木梢 撮影:小野奈那子 編集:野阪拓海/ノオト)

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